1854.02.13 アメリカが日本に開国要求。ペリー再来航(黒船9隻)/1854.03.30 日米和親条約

1854年[US078]2月13日、ペリーが黒船9隻(Pawhatan、Susquehannna、Mississippi、Saratoga、Macedonian、Vandalia、Southampton、Lexington、Supply )で再度浦賀に来航した。同1854年[US078]3月30日には日米和親条約(通称:Treaty of Kanagawa)を締結し、日本は下田と箱館(函館)を開港し、アメリカに最恵国待遇を与えた。

最初にクールザックリまとめてみました。

1854年[US078]2月13日ペリーはふたたび浦賀に来航しました。1年間の猶予を与える約束のはずでしたので7月に再来航するはずでしたが、香港で徳川家慶(江戸幕府第12代征夷大将軍)の死を知り、幕府の混乱の隙を突こうと考えたそうです。

「約束の通り7月に来てくれ」と言えばいいのに、と思いますが… そして、明らかにそう言うべきだったとわたしは思いますが…

一方のアメリカはちゃんとビッドル来航(1846年[US070]7月19日)の経験から学んでいます。約束より5ヶ月も早く来て不意打ち、幕府の混乱期に付け込み、「黒船」も4隻から9隻に倍増以上して威嚇、と言ったところでしょうか。戦争もしないで不平等条約を結ぼうとするのは図々しいですが、図々しい要求を通せる様に努力はしているわけです。

結局、押し切られてしまった江戸幕府とペリーは日米和親条約(Convention of Peace and Amity between the United States of America and the Empire of Japan、通称Treaty of Kanagawa、1854年[US078]3月30日)を締結してしまいました。

条約の内容は以下の通り、第2条にある下田の即時開港および箱館(函館)の翌1855年[US079]3月開港と第9条の最恵国待遇が重要な内容です。

[…] Article II.The Port of Simoda […], and the Port of Hakodade[…], are granted by the Japanese as ports for the reception of American Ships, […] The time for opening the first named Port is immediately on signing this Treaty; the last named Port is to be opened immediately after the same day in the ensuing Japanese Year. […]
Article IX.It is agreed, that if at any future day the government of Japan shall grant to any other Nation or Nations privileges and advantages which are not herein granted to the United States, and the Citizens thereof, that these same privileges and advantages shall be granted likewise to the United States, and to the Citizens thereof, without any consultation or deley. […]

https://en.wikisource.org/wiki/Treaty_of_Kanagawa

参考:

文責:四々縦七

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