1812.06.18-1814.12.16 米英戦争(1812年戦争)/ガン条約〜インディアンが英支援を失う契機

Napoléonに手を焼くイギリスに仕掛けた米英戦争で、アメリカはカナダを奪って領土を増やすことはできませんでした。

しかし、ガン条約を締結することでインディアンに対するイギリスの支援を断ち切ったことが、インディアンにとっての悲劇の始まりであり、アメリカにとっての西部開拓(西進)を促進させる効果的な「戦果」となりました。

1812年[US036]6月18日、米英戦争勃発。アメリカはカナダの獲得を狙ったが失敗した。戦争は1814年[US038]12月16日に終結した(ガン条約)が、顕著な領土変更は生じなかった。一方で、イギリスの支援がなくなったため、アメリカによるインディアン征服が一層進展した。

最初にクールザックリまとめてみました。

1812年[US036]6月18日、アメリカがイギリスに宣戦布告して米英戦争(1812年[US036]戦争)が勃発しました。アメリカは西進を阻むインディアンに対するイギリスの支援を封じること、カナダを奪うことなどを目的として戦争を始めました。

アメリカは、ナポレオン戦争(1803年[US027]〜1815年[US039])中のイギリスに宣戦布告したわけです。他国の弱みに付け込むのは外交の基本です。

しかし、戦争は長引いてしまい、お互いに疲弊したアメリカとイギリスは1814年[US038]12月26日にベルギーでガン条約に調印して戦争を終結させました。

イギリスからの援軍は1814年[US038]になるまで到着しなかったようなので、アメリカが早期に米英戦争に勝利できなかったということは、カナダ人がアメリカに対する防衛戦に勝利したということになります。もしかすると、北アメリカ大陸における「米英戦争の意義」は1867年[US091]7月1日のカナダ連邦成立につながるカナダ人の一体感を醸成する端緒となったことに見出すべきかもしれません。

とはいえ、アメリカは戦争に負けたわけではありません。アメリカにとっても意義はありました。

  • まず、アメリカによるインディアン征服の進展です。戦争中も、西部戦線ではアメリカ軍はインディアンに対して一定の戦果を挙げたようです。しかし、インディアン征服の進展が見られたのは戦後でした。ガン条約においてイギリスがインディアンに対する同盟を放棄したため、以後インディアンは外国(=アメリカ以外の列強)を当てにできなくなってしまいます。これがインディアンのアメリカに対する戦いにおける大きな転機となりました。
  • 加えて、経済的な意義もありました。米英戦争中にイギリス製品の輸入が止まったため、アメリカ北部を中心に産業、工業が発展しました。政治的な独立を果たした革命戦争に対し、米英戦争によってアメリカは経済的な独立を果たしたと言うことができます。

ところで、上述の通り1814年[US038]12月26日にベルギーでガン条約に調印して戦争は終結しました。しかし、当時の新旧大陸間の移動は船で数週間かかりましたので、講和条約調印の知らせが届かず停戦が遅れました。

ガン条約調印後も、アンドリュー・ジャクソン率いる民兵軍がニューオーリンズでイギリス軍を撃破したり(ニューオーリンズの戦い、1815年[US039]1月8日)、イギリス軍がアラバマの町モビールを攻撃してアメリカ軍守備隊を降伏させたり(1815年[US039]2月11-12日、ボイヤー砦の戦い)など戦闘は継続してしまい、実際に戦闘が終結したのは1815年[US039]2月でした。

このニューオリンズの戦いに勝ったのがAndrew Jackson将軍でした。一躍国民的英雄となり、後にアメリカ第7代大統領(1829年[US053]3月4日〜1837年[US061]3月4日)となりました。えっ、でも戦争は終結していたんでしょう?

実は、1814年[US038]8月25日に首都ワシントンD.C.が陥落していましたので、Jacksonはアメリカ人の鬱憤を晴らしたようです。逆に言えば、カナダ相手に予想外に苦戦したうえ、首都まで陥されてしまったアメリカ人はJacksonをヒーローに祭り上げなきゃやってられなかったのかもしれません。


ちなみに、アメリカが他国の攻撃を受けた最初がこの米英戦争、2度目が大東亜戦争すなわち真珠湾攻撃です。いかにアメリカ本土が外国からの攻撃を受けていないかが分かりますね。いつまでも”Remember Pearl Harbor”と言うわけです。アメリカ人がアメリカ本土に対する他国の攻撃に「過度に敏感」なのは、こういった歴史的背景があるのです。

9.11が3度目だったわけですから、アメリカ人が「武漢ウィルスが4度目」と言っても、驚くことではありません。

文責:四々縦七

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