1853.07.08 アメリカが日本に開国要求。ペリー来航(黒船4隻)

1853年[US077]7月8日、アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが、ニッポンの開国を求めるFillmore第13代大統領の国書を持って、黒船4隻(Susquehannna、Mississippi、Saratoga、Plymouth)で浦賀沖に来航した。

最初にクールザックリまとめてみました。

アメリカ第13代大統領Millard Fillmore(1850年[US074]7月9日〜1853年[US077]3月4日)は日本開国の指示を出しました。

1853年[US077]7月8日アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが、黒船4隻(Susquehannna、Mississippi、Saratoga、Plymouth)で浦賀沖に来航し、久里浜(神奈川県横須賀市の東部)に上陸しました。ビッドル来航(1846年[US070]7月19日)の「反省」を活かし、今度は砲艦外交、つまり黒船による威圧で交渉に臨んだのです。

望厦条約(Treaty of Wanghia、1844年[US068]7月3日)から9年が経っていましたが、米墨戦争(1846年[US070]4月25日〜1848年[US072]2月2日)に勝利し、太平洋岸まで領土を拡げたアメリカの目が、改めて太平洋のこちら側に向き始めたということです。

ペリーは浦賀奉行にニッポンの開国を求めるFillmore第13代大統領の国書を手渡しましたが、幕府は「将軍が病気であって決定できない」として返答に1年の猶予を要求しました。ペリーは1年後に再来航すると告げ、香港へ帰りました。

文責:四々縦七

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