1898.08.12 ハワイ併合

米西戦争が勃発すると、フィリピンでのスペインとの戦争のためのハワイ(真珠湾)の重要性が再認識された。アメリカは1898年[US122]8月12日にハワイを併合した。

最初にクールにザックリまとめてみました。

米西戦争(1898年[US122]4月25日〜8月12日停戦、12月10日パリ条約)により、アメリカはスペインと戦ったが、戦闘はキューバとフィリピンを中心に行われました。

フィリピンでは4月25日のアメリカの宣戦布告から1週間も経たない5月1日にマニラ湾海戦が戦われています。香港を出港したアメリカ太平洋艦隊がマニラ湾でスペイン艦隊を攻撃し、3隻が沈没、4隻が炎上しました。

実は、1897年[US121]に就任したウィリアム・マッキンリー大統領は同年中にハワイ併合を議会に提案しており、1898年[US122]3月16日には合同決議案が議会に出されていました。

米西戦争の開戦後、アメリカ国内ではフィリピンでの戦闘を継続するためのアメリカ軍の寄港地および軍事物資の補給地としてのハワイ(真珠湾)の重要性が強く認識されました。そして、ハワイ(真珠湾)の支配を強固にするために併合すべきという世論の高まりを受け、6月15日合同決議案が下院を通過し、7月6日には上院を通過、7月7日には大統領が署名してハワイは併合されたのです。

そして、8月12日の停戦と同時にアメリカのハワイ併合が宣言されました。併合後のハワイはアメリカ合衆国自治領として準州の扱いを受けることとなりました。

アメリカのいつものパターンです。保守的でアメリカ大陸内部に留まりたがる世論を「大義ある」戦争で転向させ、地政学的に効果的な外交政策を展開するわけです。

今回の場合、キューバの独立(一応フィリピンの独立もか)が大義で、地政学上の実利が将来的なチャイナへの中継地点としてのハワイの支配強化=併合ということだったわけです。

毎回とは限りませんが、世論・議会・大統領府の関係性の1つのパターンとして、「大義」と「地政学上の実利」を把握しておくことがアメリカの地政学を考える上では必須である、とわたしは考えます。

文責:四々縦七

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