1824.10.04 メキシコ新憲法採択・メキシコ合衆国成立〜連邦共和制で再スタート

独立を成し遂げたものの事実上帝政国家として出発したメキシコが新憲法を採択し連邦共和制の合衆国として仕切り直します。

出だしこそ混乱を伴ったものの、おおよそアメリカと同じ体制で再スタートを切ったわけです。しかし、一旦失われた独立の一体感は、この後も重くメキシコにのしかかることになります。もちろん、同じ北アメリカ大陸の「隣にアメリカがいた」こと自体がアメリカの独立後との最大の違いではあるのですが…

1824年[US048]10月4日、新憲法が採択され、連邦共和制のメキシコ合衆国が成立した。

以上、メモです。以下、若干の補足です。

メキシコ第一帝政(1822年[US046]7月21日〜1823年[US047]3月19日)が崩壊した後に、新憲法が採択されメキシコ合衆国(1824年[US048]10月4日〜1835年[US059]10月23日、1846年[US070]8月22日〜1864年[US088]4月10日)が成立しました。メキシコ合衆国の連邦共和制の下で、国の体制の整備が進められましたが、政治的には不安定だったようです。

特に、新憲法の下で新しく制定された州のひとつコアウイラ・イ・テハス州にアメリカ人の入植を認めたことが、後のテキサス革命(1835年[US059]3月2日〜1836年[US060]4月21日)につながっていきます。

結果的に、メキシコは入植→内戦→独立→併合という流れでテキサスを失ってしまうこととなるので、アメリカ人の入植を認めたことが「痛恨」だったということもできます。しかし、他国の入植を許すのは「経済的なメリット」があるからなわけです。つい最近までのアメリカは、国境付近の州に大量のメキシコ人の移民を受け入れていたわけで、広い意味ではこの頃と逆の動きがアメリカとメキシコの国境付近で起きていたということです。

現在は、アメリカが超大国として強大過ぎるがために表面化しませんが、潜在的には北アメリカ大陸もアメリカvsメキシコという国家間の対立構造を抱えていることは覚えておいていいと思います。もちろんアメリカvsカナダという対立構造もありますが、両国間はG7メンバーとしてやファイブアイズのメンバーとしてのつながりもあり、イギリスという強力な仲介役の存在もあるので、比較的安定していると言うべきでしょう。相対的にはメキシコとの対立の方が、アメリカの地政学上の潜在的なリスクというべきだと思います。

文責:四々縦七

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