アメリカとイギリスの妥協がようやく成立し、アメリカとカナダの国境が確定します。米英戦争から四半世紀が経っています。当たり前ですが、国境紛争は時間を要するのです。
フロリダを購入してスペインの直接的脅威を取り除き、カナダに関するイギリスとの妥協も成立して、アメリカは「対メキシコ」モードに突入していくことになります。
1846年[US070]6月15日、アメリカとイギリスはオレゴン条約を調印して、北アメリカにおける境界を北緯49度線とする(ただし、バンクーバー島はイギリス領とする)ことに合意した。オレゴン地方の共同領有は終わりアメリカ領となった。
最初にクールザックリまとめてみました。
1846年[US070]6月15日、アメリカとイギリスがオレゴン条約に調印しました。1818年[US042]条約は、米英戦争(ガン条約)の懸案事項を解決した協定でしたが、オレゴン地方については、10年間の共同領有のみが定めらていたので、実質的な境界確定は棚上げになっていたからです。
オレゴン条約の調印により、アメリカとイギリス間のオレゴン国境紛争が解決しました。
James Knox Polk第11代大統領は、1844年の大統領選で「北緯54度30分、さもなくば戦うのみ」とのスローガンを掲げて当選していました。しかし、1846年[US070]4月25日に米墨戦争が勃発(~1848年[US072]2月2日)していたこともあり、北緯49度線でアメリカとイギリスの間に妥協が成立したということです。
ちなみに、バンクーバー島は、アメリカ大陸大平洋側では最大の島です。
参考(オレゴン条約調印後のアメリカ領土の地図):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7#/media/File:United_States_1846-06-1846-12.png
文責:四々縦七