歴史とは、自分たちが納得できるように過去を説明するストーリー

「歴史」の定義について考える。

私は、タイトルに引用した、”歴史とは、自分たちが納得できるように過去を説明するストーリー”(宮脇淳子、2017、どの教科書にも書かれていない日本人のための世界史、KADOKAWA)という定義が適切だと考えている。

同書は、”歴史とは、世界を説明する仕方なのです”という形でも歴史を定義している。

何かを理解する場合、人類はストーリーを必要とする。事実が羅列されても、理解にはつながらないのだ。暗記はできるかもしれないけれど…

同書でも触れているが、History(歴史)もStory(ものがたり)も語源は同じで、ヘロドトスの「ヒストリアイ」に起源を持つ言葉だそうだ。

さて、どんな世界(「町」や、「県」や、「国」と言い換えてもいい)も一定の時間をかけて形作られる。そして、時間は刻々と「過」ぎ「去」っていく。

だから、ある世界を説明しようとすると、その世界の過去を説明する必要がある。ある世界の歴史は、必然的に、その世界の現在だけでなくその世界の過去も説明するストーリーになる。

当たり前のことであるが、”現実の世界にストーリーはありません。ストーリーがあるのは、人間の頭のなかだけです。過去は無数の偶然、偶発事件の集積にすぎず、一定の筋書きがあるわけではない”(宮脇淳子、2017、どの教科書にも書かれていない日本人のための世界史、KADOKAWA)のである。「いや、現実に起こることにも筋書きがある。一定のコースがあり、一定のゴールがあるのだ。」とお考えの方は、ここで本稿を読むのを止めることをオススメする。

そう、世界を理解するために、人類はストーリーを必要とするが、現実の世界にストーリー(筋書き)はないのだ。

だから、ストーリー(筋書き)は誰かが作る必要がある。

誰かが作ったストーリーを鵜呑みにするのはあなたの自由だが、あなた(およびあなたと同時代に生きている人全員)が生まれる前に「過」ぎ「去」った事柄についてのストーリーの場合、「上手なつくり話」をされたら「真っ赤な嘘」でも信じこまされてしまうリスク(危険)がある。

当たり前のことだが、ストーリー(筋書き)は、”文化や立場によって異なるから、国によって世界観も歴史認識も、まったく違ってくる”(宮脇淳子、2017、どの教科書にも書かれていない日本人のための世界史、KADOKAWA)のだ。世界共通の世界史など存在し得ないのである。なぜなら、世界は多様な人々と国・地域によって構成されているのだから。

最後に、歴史の定義に戻る。

誰かが作るストーリー(筋書き)が不可欠な以上、「たしからしい」、「信頼できそうな」、もっと言えば「自分の都合よくでっち上げなさそうな」人が作ったストーリーを選ばないと納得いかない、と考える人が多いだろう。

だから、「歴史とは、自分たちが納得できるように過去を説明するストーリー」と定義されるのだ。

日本の歴史とは、日本人が納得できるように日本と海外諸国を含む過去を説明するストーリー、である。そしてまた、現在の日本という国(世界)はそういう日本の歴史によってしか説明できないのである。

それにしても、考えてみると、21世紀の現代において「真っ赤な嘘」とは示唆に富む表現だ。Google先生によると、実際は摩訶不思議の「摩訶」、サンスクリット語のマハー(maha、大きい、多いの意)が由来だそうだけれど…

文責:四々縦七